【昭和十三年/大日本帝国】八つ墓の因果、血塗られた夜の帳――津山三十人殺し 第四章

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第四章:惨劇の夜(三十人殺し)

闇。
真の闇というものを、我々はとうの昔に忘却してしまった。
現代の夜は、光の欠如に過ぎない。スイッチ一つで駆逐される、薄皮のような影法師である。
だが、昭和十三年五月二十一日の午前一時半。
送電線が切断され、外界との繋がりを絶たれた貝尾集落を覆い尽くしたものは、単なる光の欠如ではなかった。
それは、重さを持った実体としての「暗黒」であった。
ねっとりと肌に纏わりつき、肺腑を満たし、己と他者の境界すらも曖昧に溶かしてしまう、羊水のごとき死の空間。
星明かりすら届かぬ新月の夜である。
手を伸ばしても己の指先すら見えぬ絶対的な虚無の中では、空間の広がりも、時間の流れも、その意味を喪失する。
村人たちは、重く澱んだ闇の底で、泥のように眠っていた。
その無防備なる安眠の只中へ、地獄の蓋が、音もなく開かれたのである。

最初の標的は。
否、最初の「生贄」は、決まっていた。
都井睦雄をこの世に繋ぎ止めていた最後の楔であり、彼を最も愛し、同時に彼を最も呪わしく縛り付けた肉親――祖母である。
狂気の沙汰であるか。
自分を溺愛した身内を第一の標的に選ぶなど、狂人の無軌道な暴走に他ならないと、健常なる精神の持ち主は断じるだろう。
だが、睦雄の裡に構築された絶対的なる「秩序(オーガナイズド)」の論理において、祖母の死は不可避の前提であった。
彼は、これから村の人間を皆殺しにする。
己を蔑んだ者たちを、血の海に沈める。
その惨劇の後、生き残った祖母はどうなるのか。
「殺人鬼の祖母」として、この排他的な村で、あるいは世間で、どれほどの石を投げられ、泥を塗られ、地獄の苦しみを味わうことになるか。
ならば。
ならば、自分が手を下すしかない。
自分がこれから成す大いなる「業」の連帯保証人として、最愛の祖母を道連れにする。
それは、狂気の中に見出された、彼なりの極めて冷徹で、哀しい「慈悲」であったのかもしれない。

闇の中、睦雄は祖母の寝所へと歩みを進めた。
手には、鋭く研ぎ澄まされた斧。あるいは日本刀。
ためらいは、微塵もなかったという。
境界はすでに越えている。彼は人間であることを辞め、純粋なる「死の機構」へと変貌を遂げていたのだから。
振り上げられた刃が、空気を裂く。
鈍い、肉と骨を断つ凄惨な音。
血が噴き出す。
生暖かい液体が、闇の中で黒い飛沫となって畳を濡らす。
その瞬間、都井睦雄という青年は、戸籍上のみならず、魂の次元においても完全に死滅した。
後に残ったのは、三十人分の致死量を内包した、殺戮の自動機械のみである。

外へ出る。
闇夜の底に、異形が顕現する。
黒の詰襟服に、軍用のゲートル。腰には日本刀と匕首。胸と背には夥しい数の予備弾薬。
手には銃身を切り詰めた九連発のブローニング製猟銃。
そして、額には。
頭部に鉢巻でしっかりと括り付けられた、二本の自転車用懐中電灯である。
スイッチが入れられる。
漆黒の闇の中に、パッと二筋の強烈な光の柱が突き刺さる。
それは、伝説に語られる牛頭馬頭か、あるいは人を喰らう夜叉の眼光か。
光を放ちながら、異形は自転車に跨った。
砂利を踏みしめるタイヤの音が、静寂の村に響く。
ギィ、ギィと。
死神の乗る車輪の軋みのごとく、それは迫り来る。
逃げ場はない。電線は切断されている。隣の集落へ助けを呼ぶにも、深い闇と険しい山道がそれを阻む。
貝尾という集落は、完全に外界から切り離された、巨大な密室の「屠殺場」と化していたのである。

光が、走る。
最初の標的の家。かつて睦雄と関係を持ちながら、彼が結核に倒れるや否や別の男へと走った女の家である。
雨戸が、けたたましい音を立てて蹴り破られる。
「誰じゃ!」
寝込みを襲われ、狼狽する村人の声。
だが、その声に対する返答は、言葉ではない。
轟音である。

鼓膜を破るような、圧倒的なる暴力の炸裂音。
十二番口径の散弾が、至近距離から人体に撃ち込まれる。
それは、鉛の粒というよりも、破壊のエネルギーそのものの塊である。
狭い日本家屋の中で放たれた獣狩りの銃弾は、人間の脆弱な肉体など容易く粉砕する。
肉が弾け飛ぶ。
内臓が壁にぶちまけられる。
血の霧が、懐中電灯の光芒の中に、真っ赤な微粒子となって浮かび上がる。
悲鳴を上げる間すらない。
痛みを認識する前に、生身の人間は、ただの「物体」へと還元されていく。

一人、また一人。
睦雄の行動には、一切の無駄がなかった。
自転車を乗り捨て、あるいは走りながら、彼のもつ「閻魔帳(リスト)」に記載された家々を、機械的な正確さで急襲していく。
襖を蹴り開け、光の束で暗闇の奥にうずくまる標的を捉え、引き金を引く。
ガシャン、という排莢の音。
火薬のツンとした匂いと、生臭い血の匂い、そして恐怖に失禁した排泄物の匂いが、狭い空間に充満する。
逃げようとする者は、背中から撃ち抜かれる。
隠れようとする者は、布団の上から滅多撃ちの雨を浴びる。
弾が切れれば、瞬時に日本刀を引き抜き、血濡れた刃で喉笛を掻き切る。心臓を深々と刺し貫く。
阿鼻叫喚。
いや、叫喚すらも許されない。
圧倒的な暴力の前に、村人たちはただ震え、光に射すくめられた蛙のごとく、為す術もなく屠られていったのである。

ここで特筆すべきは、彼の殺戮が、決して無差別の乱痴気騒ぎではなかったという事実である。
凄惨極まる殺戮の最中であっても、彼の裡にある「冷徹なる論理」は、微動だにしていなかった。
ある家では、標的である家人を撃ち殺した後、その場に居合わせた老人に対して、彼は懐中電灯の光を向けたまま、静かにこう言い放ったという。
「お前には用はない。お前は、わしに悪うせんかったからな。……ただ、〇〇は殺す」
また別の家では、泣き叫ぶ標的の命乞いに対し、彼は淡々と、自らが結核を患った後にどれほど冷遇されたか、その恨みつらみを理路整然と語って聞かせ、その上で引き金を引いた。
狂っていないのである。
彼は自分が何をしているのか、誰を殺しているのかを、極めて明晰な意識の元に完全に把握していた。
だからこそ、底知れず恐ろしい。
無差別の狂気であれば、隠れていればやり過ごせるかもしれないという一縷の望みがある。
しかし、彼が実行していたのは「村八分」というシステムに対する、絶対的なる「報復プログラム」であった。
リストに載った者は、泣こうが喚こうが、土下座をして許しを乞おうが、決して逃れることはできない。
逆に、リストに載っていない者は、血の海に立っていても見逃される。
その絶対的なまでの冷酷な選別作業が、闇の中で、懐中電灯の二本の光芒を頼りに、黙々と続けられていたのだ。

時間は、どれほど経過しただろうか。
客観的な時間軸で言えば、午前一時半から午前三時頃までの、わずか一時間半から二時間弱の出来事である。
だが、その夜、貝尾の暗闇に取り残された者たちにとって、それは永劫にも等しい無限の地獄であった。
一軒、また一軒と、銃声が響くたびに、命が消える。
隣の家から聞こえていた悲鳴が、唐突に途絶える。
次は、自分の家か。
闇の中で息を潜め、迫り来る死神の足音と、自転車の車輪の音に耳を澄ませる恐怖。
それは、人間の精神を根底から破壊するに十分な拷問であった。

計十一軒。
睦雄が襲撃した家屋の数である。
その短い時間の間に、彼が消費した弾丸は百発を超えたと言われている。
結果として。
即死者、二十八名。
重傷を負い、後に死亡した者、二名。
合わせて三十名。その他、重軽傷者三名。
全戸数二十数戸、人口百数十名程度の小さな集落において、実に三分の一近くの命が、たった一人の青年の手によって、一夜にして刈り取られたのである。

惨劇の終焉。
三十の命を吸い尽くした村は、再び、沈黙を取り戻していた。
だがその沈黙は、かつての平穏な安眠のそれではない。
濃密な血の匂いと、死の気配が立ち込める、巨大な墓標の沈黙である。
襖は破れ、畳は赤黒く染まり、至る所に、もはや人間としての原型を留めぬ肉塊が転がっている。
壁には脳髄がこびりつき、切断された部位が転がり、うつ伏せに倒れた死体の下からは、絶え間なく血の泉が湧き出している。
村という閉鎖機構が、その内側に溜め込んだ「因習」と「排他」の澱み。
それが臨界点を超え、都井睦雄という触媒を通して爆発した結果が、この凄惨なる地獄絵図であった。

彼岸の住人となった睦雄は、血に濡れた猟銃を手に、一人、夜の山道を登っていく。
彼の「仕事」は、終わったのだ。
村を壊滅させ、己を蔑んだ者たちへの報復という、強迫的なる儀式を完遂した。
懐中電灯の光芒が、暗い木々を照らし出す。
その背中は、狂気を演じきった悪魔のそれか、あるいは因果の糸に操り人形のごとく踊らされた、ただの哀れな青年のものであったか。
振り返ることはない。
三十人の血を啜った夜の帳は、やがて来る白々しい夜明けの光によって、残酷なまでにその全貌を世界へと晒すことになる。
だが今はまだ、深い、深い闇の中であった。

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