1975年(昭和50年)3月6日。 まだ雪の残る青森県弘前市で、あまりにも残酷な殺人事件が起きました。
国立大学教授の夫人が、自宅の寝室で変わり果てた姿となって発見されたのです。 この事件は、当初「夫による殺人」として処理され、一人の学者の人生を破滅させました。しかし、それは警察の見込み捜査が生んだ、恐るべき**「冤罪」**だったのです。
今回は、事件の残虐性と、捜査機関の暴走に焦点を当てます。
1. 全身22箇所のメッタ刺し
被害者である那須カネさん(当時48歳)の遺体は、凄惨を極めていました。 死因は首や胸を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死ですが、その刺し傷の数はなんと22箇所。
犯罪心理学(プロファイリング)の視点で見れば、これは典型的な「オーバーキル(過剰殺傷)」です。 犯人は強い殺意を持っていたか、あるいは薬物などによる極度の興奮状態にあった可能性が高いことを示しています。 冷静な計画殺人とは程遠い、激情と狂気に満ちた犯行現場でした。
2. 作られた犯人、奪われた名誉
事件から約1年後、警察が逮捕したのは、第一発見者である夫の那須隆教授でした。 直接的な証拠がない中、警察は「アリバイの不在」や「夫婦仲の不和」といった状況証拠を積み重ね、彼を犯人に仕立て上げました。
那須教授は一貫して無実を訴えましたが、裁判所は懲役15年の有罪判決を下します。 彼は大学を追われ、社会的地位も名誉もすべて剥奪されたまま、刑務所に収監されました。
3. 真犯人の告白と、遅すぎた正義
事件が急展開を見せたのは、発生から20年以上が経過してからでした。 別の殺人事件で服役していた男が、「弘前の事件も自分がやった」と告白したのです。
再審請求の結果、現場に残されていた証拠物件とこの男のDNAが一致する可能性が高いことが判明。 那須元教授の無罪が確定しました。 しかし、それは彼が刑期を終え、高齢になった後のことでした。
なぜ警察は、22箇所も刺すという異常な犯行手口から、外部犯の可能性をもっと深く探らなかったのか? 「夫が犯人であってほしい」という捜査員の予断が、真犯人を20年以上も野放しにし、無実の人間を地獄へ突き落としたのです。
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