1974年(昭和49年)10月26日深夜。 熊本県上益城郡甲佐町。静かな農村で、その凄惨な事件は起きました。
農業を営む男性(当時45歳・甲斐巌さん)の自宅から火の手が上がり、焼け跡からは妻と長女、次女の3人の遺体が発見されました。唯一生き残った長男も頭部に重傷を負っていました。 死因は焼死ではなく、斧による撲殺。
警察は、生き残った父親である甲斐さんを逮捕しました。 しかし、この事件には、半世紀が経った今もなお、拭い去れない**「冤罪の疑い」**が色濃く残っています。なぜ彼は犯人とされ、なぜ多くの法曹関係者が「無実」を信じたのか。その闇に迫ります。
1. 血の海と「白すぎたパジャマ」
この事件最大の謎であり、冤罪を主張する根拠となったのが、犯行時の**「返り血」の矛盾**です。
犯行に使われたのは「薪割り用の斧」。 妻と娘2人は、頭部を何度も激しく殴打され殺害されていました。現場の畳や壁は、天井に届くほど鮮血が飛び散り、まさに「血の海」でした。
検察側の主張によれば、甲斐さんはパジャマ姿で家族3人を次々と斧で殴り殺したとされています。 しかし、逮捕時に押収された彼のパジャマには、ごくわずかな血痕(こすれたような跡)しか付着していなかったのです。
返り血を浴びずに、斧で3人を撲殺することは物理的に可能なのか? 弁護団による再現実験では、犯行を行えば全身が血まみれになることが証明されました。警察は「衣類を洗濯した形跡はない」と認めており、この物理的な矛盾は、裁判の最後まで合理的に説明されませんでした。
2. 「自白」という名の密室
物証が乏しい中、死刑判決の決め手となったのは、甲斐さん自身の「自白」でした。
逮捕直後、彼は激しい取り調べを受けました。 後に彼が語ったところによれば、連日のように「お前がやったんだろ」「家族を殺した鬼」と罵倒され、長時間立たされるなどの拷問に近い扱いを受けたといいます。 精神的・肉体的に追い詰められた彼は、一度は「私がやりました」と認めてしまいます。
しかし、起訴後は一貫して否認に転じました。 「自白は強要された嘘だ。私はやっていない」 そう叫び続けましたが、一度録音された「自白」の重みは覆ることなく、1989年に最高裁で死刑が確定しました。
3. 第三者の影と、無視された痕跡
現場には、甲斐さん以外の人間が侵入した可能性を示す痕跡がありました。
- 裏口の鍵: 家族が就寝前に施錠したはずの裏口の鍵が開いていた。
- 足跡: 現場周辺には、家族のものではない足跡があったとされるが、十分な捜査は行われなかった。
- 長男の証言: 重傷を負った長男は、事件直後の記憶が曖昧でしたが、一貫して「父がやったとは思えない」という趣旨の感情を持っていました。
しかし、警察は当初から「内部犯行」に絞り込み、外部犯説の可能性を早々に排除してしまったのです。
4. 裁かれないままの結末
死刑確定後、日本弁護士連合会(日弁連)はこの事件を「冤罪の可能性が極めて高い」として、再審(裁判のやり直し)を支援することを決定しました。
「無実の人間を死刑にするわけにはいかない」 多くの弁護士が立ち上がり、再審請求を行いました。しかし、裁判所は頑なに扉を閉ざし続けました。
そして2004年。 甲斐巌さんは、福岡拘置所で病気により亡くなりました。享年75歳。 死刑囚という汚名を着せられたまま、再審の開始決定を聞くことなく、彼はこの世を去りました。 被疑者死亡により、再審請求は終了。真実は永遠に闇の中へと葬られたのです。
まとめ
熊本・甲佐町一家4人殺傷事件。 それは、科学捜査が未熟だった時代の「自白偏重主義」が生んだ悲劇だったのかもしれません。
もし、あのパジャマの血痕について、現代のDNA型鑑定や血痕飛沫分析が行われていれば、結果は違っていたのでしょうか。 真犯人が別にいたとすれば、その人物は半世紀もの間、何の罪にも問われず生き延びたことになります。
法は人を裁きますが、その法が間違っていた時、失われた時間と命は誰にも償うことができません。
(姉妹探偵のメモ)
【姉・佳穂のプロファイリング】 「物理法則は嘘をつかないわ。斧のような重量のある凶器で人体、特に頭部を破壊すれば、『バック・スパッタ(後方への飛沫)』が必ず発生する。実行犯の衣類が無事である確率はゼロに近い。彼が犯人なら、犯行後に着替えて別のパジャマを着たことになるけれど、それなら『わずかな血痕』すら付着していない新品でなければおかしい。この証拠の矛盾は、論理的に破綻しているわ」
【妹・彩心の想い】 「生き残ったお兄さん(長男)のことを思うと、胸が張り裂けそうになるよ……。お母さんと妹たちを殺されて、大好きだったお父さんが『犯人』として連れて行かれて。もしお父さんが本当に無実だったら、お兄さんは『被害者』でありながら『殺人犯の息子』として何十年も苦しんできたことになる。冤罪って、刑務所に入る人だけじゃなく、残された家族の人生も殺してしまうんだね」
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