1974年(昭和49年)4月21日。 春の暖かさが定着し始めた頃、東京都葛飾区を流れる荒川(荒川放水路)の河川敷で、ある「異物」が発見されました。
それは、見るも無残に切断された、若い女性の遺体の一部でした。
今回の「殺人事件ファイル」は、高度経済成長期の終わりの東京で起き、そして人々の記憶から静かに消えていった「葛飾区・女性バラバラ殺人事件」を取り上げます。
犯人が捕まっていないだけでなく、被害者の身元さえ特定されなかったこの事件は、当時の東京が抱えていた「孤独」を浮き彫りにしています。
事件の発生:濁った川のほとりで
現場は、葛飾区の荒川河川敷。 当時は現在のように整備された公園ばかりではなく、葦(あし)が生い茂り、不法投棄されたゴミが散乱する場所も多くありました。
4月21日の朝、釣りに来ていた男性が、水際にある不審な包みを発見します。 中から出てきたのは、人間の胴体部分でした。
その後の捜索で、少し離れた場所から他の部位も見つかりましたが、身元を特定するための決定的な手掛かりや、犯人に繋がる遺留品は発見されませんでした。
なぜ「バラバラ」にするのか?
1974年当時、「バラバラ殺人(死体損壊遺棄)」は、都市型の犯罪として徐々に増加していました。 木造アパートが密集し、人口が過密化した東京では、遺体をそのまま隠したり、埋めたりする場所がありません。犯行の発覚を遅らせ、持ち運びを容易にするための「切断」という手段は、皮肉にも都会の住宅事情が生んだ犯罪手口とも言えます。
そして、遺棄場所に「荒川」が選ばれたことにも意味があります。 荒川放水路は、東京の下町を貫き、東京湾へと注ぐ巨大な水の道です。「川に流せば海へ出る」「すべてを闇に葬れる」……犯人はそう考えたのかもしれません。
迷宮入り:浮かび上がらなかった「彼女」の名前
警察は似顔絵を公開し、行方不明者リストとの照合を行いました。 被害者は20代から30代と見られる女性。
しかし、捜査は難航を極めます。 1974年は、地方から東京へ集団就職などで多くの若者が流入していた時代です。単身で上京し、近所付き合いもなくアパート暮らしをしていた場合、突然いなくなっても、誰も「失踪届」を出さないことが珍しくありませんでした。
- 彼女は誰だったのか?
- なぜ殺されなければならなかったのか?
- 犯人は、恋人か、行きずりの他人か?
「狂乱物価」で誰もが自分の生活を守るのに必死だった時代。 彼女の死は、大きなニュースの陰で、誰にも惜しまれることなく処理されていきました。
昭和49年の「都会の死角」
この事件は、派手な劇場型犯罪ではありません。 しかし、大都会・東京の片隅で、一人の女性の尊厳が奪われ、ゴミのように捨てられたという事実は、どんなホラー小説よりも寒気がする現実です。
荒川の広い川面は、今も昔も変わらず、何も語らずに海へと流れています。 その底には、1974年の春に消えた「彼女」の無念が、今も沈んでいるのかもしれません。
【事件データ】
- 発覚日: 1974年(昭和49年)4月21日
- 現場: 東京都葛飾区・荒川河川敷
- 被害者: 身元不明の成人女性
- 状況: 切断された遺体の一部が発見される
- 結末: 未解決(公訴時効成立)
(姉妹探偵のメモ)
【姉の推理】 「荒川に遺棄したってことは、犯人は土地勘のある人間ね。車で運んだ可能性が高いわ。切断の手間をかけてまで身元を隠そうとした……つまり、被害者の身元が割れれば、すぐに自分が疑われるような『近い関係』の人物の犯行よ。行きずりの犯行なら、そこまで執拗に隠蔽しないもの」
【妹の呟き】 「名前もわからないままなんて、悲しすぎるよ。お父さんやお母さんは、田舎で帰りを待っていたのかな。それとも、帰りたくても帰れない事情があったのかな……。1974年の東京って、なんだかすごく冷たい風が吹いている気がする」
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編集後記
本記事で取り上げた事件は、当時の新聞の片隅に掲載されたものの、その後の続報が途絶えた「忘れられた事件」の一つです。 資料が少なく、詳細の一部は当時の類似事件の傾向からの推測を含みますが、1974年という時代の空気を象徴する事件として記録します。



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