第五章:終焉と考察
終わった。
全てが、終わったのである。
惨劇の舞台となった貝尾の集落は、分厚い血の海と、死者たちの怨嗟の底に沈み切っていた。
三十人分の命を吸い尽くした夜の帳は、やがて来るべき払暁の気配に、ほんのわずかばかりその端を白ませ始めている。
だが、光はまだ届かない。
山深い中国山地の谷間には、殺戮の狂宴の余韻が、火薬の匂いと生臭い血の匂いに混じって、どす黒い霧のように立ち込めていた。
その霧を切り裂くようにして、一人の異形が、歩を進めている。
都井睦雄。
一夜にして村を壊滅せしめた、殺戮の自動機械である。
彼が目指したのは、仙城山の頂であった。あるいは荒坂峠と呼ばれる、村を見下ろす高台である。
一歩、また一歩と、血と泥と他者の脳髄に塗れたゲートルが、朝露に濡れた下草を重く踏みしめる。
ザクッ、ザクッという鈍い足音が、静寂の山中に響く。
三十の命を刈り取り、業の限りを尽くした肉体は、想像を絶する疲労に包まれていたはずである。肺結核に侵された病身であれば、なおさらのことだ。
だが、彼の足取りに躊躇いはなかった。
己の成すべき「儀式」を全て果たし終えた者特有の、ある種の透明な虚脱感が、彼を頂へと突き動かしていたのだろうか。
彼岸と此岸を隔てる境界線は、もはや彼の足元には存在しない。
彼はとうの昔に彼岸の住人となっており、ただ、自らの肉体という名の汚れた器を破棄するための、静寂なる祭壇を探していたに過ぎないのだ。
山を登りきった彼は、一枚の紙と鉛筆を取り出した。
遺書である。
暗闇の中、あるいは白々と明けゆく微かな光を頼りに、彼は最後の言葉を書き付けた。
手が震えていたか。
否。
遺書に残された文字は、狂人の書き殴りなどでは決してなかった。
極めて理路整然とし、己の行動の因果を淡々と綴った、恐るべきほどに冷静な告白であった。
誰をなぜ殺したのか。誰をなぜ生かしたのか。
そこには、己を蔑んだ村の者たちへの冷徹なる弾劾と、病魔に冒された己自身の運命への諦念が、幾何学模様のように整然と記されていた。
そして、彼はこう結んでいる。
『もはや夜明けも近づいた、死にましょう』
この一文の凄みに、私は戦慄を禁じ得ない。
何という静謐さであろうか。
三十人の人間を、猟銃で木端微塵に撃ち砕き、日本刀で切り刻んだ直後の人間の言葉であるとは、到底信じ難い。
狂気の中にあって、彼の理性は極限まで研ぎ澄まされていた。
熱を帯びた錯乱ではなく、絶対零度にまで冷却された透明な狂気。
彼は、自分が何をし、その結果どうなるのかを、最初から最後まで完全に俯瞰し、統制していたのである。
だからこそ、「死にましょう」という、まるで日常の他愛ない約束を交わすかのような、穏やかで事務的な言葉が紡ぎ出されたのだ。
それは、舞台の幕引きを宣言する、演出家自身の言葉であった。
遺書を書き終えた睦雄は、己の分身たるブローニング製猟銃を手にした。
銃身を自らの胸部に宛てがう。
心臓の鼓動。
病魔に蝕まれながらも、確かに血を送り出してきたその臓器の拍動を、彼は銃口の冷たい金属越しに感じていたのだろうか。
彼は上着のボタンを外し、素肌を露出させた。
確実に、一撃で、自らの命の根を断ち切るために。
足の指を、引き金にかける。
もはや、振り返るべき場所は何処にもない。
かつて彼を拒絶し、彼を透明な存在へと貶めた貝尾の集落は、眼下の闇の中で、死の静寂に沈み切っている。
ドァーン、という重い轟音。
山鳩が驚いて飛び立ち、木々の葉がざわめく。
十二番口径の猛獣用の散弾が、至近距離から青年の心臓を原形をとどめぬほどに粉砕した。
肉体が弾け、血飛沫が朝露に濡れた土を赤く染める。
その瞬間。
昭和十三年五月二十一日、明け方。
「都井睦雄」という特異点は、この世から完全に消滅した。
後に残されたのは、頭に二本の懐中電灯を括り付けたまま、無惨な肉塊と化した一体の死骸のみである。
ここで、我々は一つの深淵なる問いに直面する。
彼は一体、何を殺したのか。
三十人の村人たちか。
物理的な事実としては、そうであろう。
だが、犯罪心理学における「非人格化(ディーパーソナライゼーション)」という観点からこの惨劇を解剖した時、見えてくる風景は全く異なる。
非人格化とは、対象を人間としてではなく、単なる「モノ」、あるいは記号として認識する心理機制である。
睦雄が現場に残した痕跡――すなわち「オーバーキル(過剰殺傷)」の凄まじさが、それを雄弁に物語っている。
彼は、標的をただ殺すだけでは飽き足らず、死体に向けて幾度も幾度も猟銃の引き金を弾き、あるいは刃を突き立てた。
致死量を遥かに超える破壊。
それは、激しい憎悪の発露であると同時に、相手を「血の通った人間」として認識していなかったことの明確な証左に他ならない。
彼にとって、あの村に住む者たちは、もはや人間ではなかったのだ。
では、何であったのか。
それは、「村」という名の、無慈悲で排他的な「機構(システム)」を構成する、顔のない歯車たちであった。
彼を「労咳病み」と蔑み、徴兵検査に落ちた彼から「男としての価値」を剥奪し、夜這いの風習から彼を締め出し、村八分という透明な牢獄に閉じ込めた、目に見えない同調圧力。
その圧力の正体こそが、村というシステムそのものであった。
彼は気づいていたのだ。
誰か特定の個人を憎んだところで、この機構は微動だにしないということに。
一人の女を殺したところで、別の者が同じように彼を蔑むだけであるということに。
機構が彼を排除するのなら、彼は機構そのものを破壊するしかなかった。
だからこそ、彼は「閻魔帳」を作り、村というシステムを維持している主要な部品(村人たち)を、一つ一つ、機械的な正確さで物理的に破壊(オーバーキル)していったのである。
彼は、人間を殺したのではない。
「因習」を殺したのだ。
「排他性」を殺したのだ。
貝尾という村に何世代にもわたって堆積してきた、どす黒い「ムラ社会の澱み」そのものを、鉛の弾丸と鋼の刃で、粉々に粉砕したのである。
事件後、貝尾の集落はどうなったか。
三十人もの人間が惨殺され、生き残った者たちもまた、消えることのない深いトラウマと、世間からの好奇の目に晒されることとなった。
「あの忌まわしい三十人殺しの村」。
その烙印は、結核よりも遥かに残酷な呪いとなって、村人たちを蝕んだ。
多くの者が村を捨て、土地を離れたという。
かつて睦雄を村八分にし、彼を排除することで強固な絆を保とうとした共同体は、睦雄が放った呪いの銃弾によって、完全に致命傷を負ったのである。
因果律とは、斯くも恐ろしきものである。
村が彼を異端として弾き出したその瞬間から、村自身の破滅へのカウントダウンは始まっていたのだ。
排他という名の暴力は、いずれ必ず、より巨大で純粋な物理的暴力となって、己の元へと返ってくる。
都井睦雄という青年は、確かに稀代の殺人鬼であった。
決して許されるべきではない、悪鬼羅刹の類である。
だが、彼を悪鬼へと育て上げた揺り籠は、紛れもなく貝尾という村の因習であり、閉鎖機構そのものであった。
彼を生み出したのは、昭和初期という時代の歪みであり、国家というより巨大な機構の影であったのかもしれない。
山頂で朽ち果てた青年の亡骸は、やがて警察によって回収され、事件は歴史の闇へと葬り去られようとした。
戦時下の情報統制の中、この前代未聞の惨劇は、一時の猟奇事件として消費され、人々の記憶から急速に薄れていくことを強要された。
だが、血の記憶は、そう容易くは消え去らない。
横溝正史が『八つ墓村』という虚構の器にその因果を注ぎ込んだように、あるいはこうして私が文字を連ねているように、その底知れぬ恐怖と悲哀は、形を変えて語り継がれていく。
夜明けの光が、ついに仙城山の頂を照らし出す。
だが、その光がどれほど眩しかろうとも、あの一夜にして流された三十人分の血の赤を、完全に洗い流すことはできない。
境界は破られ、歪みは臨界に達し、全ては血塗られた帳の下へと収束した。
彼が殺したのは人間か、それとも魔物か。
あるいは、彼自身が最初から、この村が孕んだ業そのものであったのか。
答えは、闇の中である。
ただ一つ確かなことは、昭和十三年五月二十一日という日を境に、日本の犯罪史に、決して埋めることのできない底なしの「淵」がぽっかりと口を開けたという事実のみである。
合掌。



コメント