導入文
1929年(昭和4年)の下半期。この年の秋は、日本の大衆文化において「猟奇(りょうき)」という言葉が爆発的なブームを迎えた特異な時期でした。
8月には江戸川乱歩が「エロ・グロ・ナンセンス」の極致である『蜘蛛男』の連載を開始。さらに12月には、怪奇や残酷趣味を特集した雑誌『猟奇画報』が創刊されます。都市部の人々は、架空の猟奇殺人鬼に熱狂し、血生臭い事件を「娯楽」として消費し始めていました。
しかし、フィクションの影で、現実はより冷酷でした。今回は、まさにこの「猟奇ブーム」の真っ只中である昭和4年10月に発生し、国家権力の歪み(システムとしての猟奇)を浮き彫りにした「岡山村中国人行商人殺人事件」から、昭和初期の狂気をプロファイリングします。
岡山村中国人行商人殺人事件(国家権力の「猟奇」)
- 発生: 1929年(昭和4年)10月26日 / 福岡県八女郡岡山村(現・八女市)
- 犯人: 真犯人は強盗犯(後に別の事件で判明)。※当初は海軍の脱走兵が冤罪で逮捕された
- 被害者: 中国人の小間物行商人(当時26歳)
- 殺害方法: 山林における凄惨な撲殺・強盗
- 概要:
昭和4年10月26日、福岡県の山林で、中国人の若い行商人が無惨な遺体となって発見されました。犯人は彼を殺害し、所持金50円(現在の数十万円相当)と為替手形を強奪していました。
事件の「猟奇性(異常性)」は、殺人そのものよりも、その後の警察の捜査過程にあります。現場の近くには、真犯人が脱ぎ捨てたと思われる血塗られた衣服が残されていました。しかし警察は、現場近くで宛名の書かれた袋が見つかったというだけの理由で、佐世保海兵団から逃亡していた二等機関兵を犯人と断定します。
驚くべきことに、警察は真犯人につながる最大の物証である「血のついた衣服」を、自分たちの描いたストーリーに合わないからという理由で意図的に隠蔽(紛失扱い)したのです。無実の海軍兵は軍法会議にかけられ、過酷な取り調べの末に有罪判決を受けました。後に真犯人が別の事件で捕まり、この冤罪が晴れるまで、無実の青年は国家という巨大な密室で精神的な拷問を受け続けました。 - 特異点:
- 大衆の盲点: 世間が江戸川乱歩の小説のような「分かりやすい猟奇殺人」に熱中していた裏で起きた、極めて現実的で陰湿な暴力。
- 証拠の抹消: 警察組織が保身とメンツのために、殺人事件の重要証拠を故意に闇に葬るという異常事態。
- プロファイリング要素:
- 犯人像(警察・司法組織): この事件において最も恐ろしいのは、真犯人よりも捜査機関の行動です。彼らの行動は、自らのシナリオを完遂するためなら個人の人生を平気で踏みにじる[マキャベリアニズム]と、権力による[制度的サイコパシー(Institutional Psychopathy)]の典型です。
- 行動分析: 都合の悪い証拠を「なかったこと」にする行動は、現実を自分の都合の良いように改ざんする強烈な[認知の歪み]であり、そこに他者への[アフェクティブ・エンパシー(情動的共感)]は一切存在しません。
姉妹探偵の事件考察
担当: 榎本佳穂 × 九条芙美音
芙美音:
「……なんやこれ。1929年の下半期って、乱歩の『蜘蛛男』とか『猟奇画報』が流行って、みんなキャーキャー言うてスリルを楽しんでた時期やろ? その裏で、警察が殺人事件の証拠の血まみれの服をわざと捨てるって……そっちの方がよっぽどホラーやんか!」
佳穂:
「ええ。大衆が求める『猟奇』は、あくまで安全な場所から楽しむ見世物(エンターテインメント)だった。でも、岡山村の事件で起きたのは、国家権力という絶対に逆らえないシステムが暴走する『現実の恐怖』よ。警察組織にとって、海軍の脱走兵は事件を素早く解決するための都合の良い『スケープゴート(生贄)』に過ぎなかったの」
芙美音:
「血のついた服を隠すって、完全に警察が『証拠隠滅の共犯』になってるやん。無実の罪で軍法会議にかけられた兵隊さん、どんだけ絶望したやろ……。真犯人が見つからんかったら、そのまま死刑になってたかもしれへんのやで?」
佳穂:
「個人の殺人鬼が持つ異常性はプロファイリングで分析できるわ。でも、組織全体がメンツのために嘘をつき、一人の人間を社会的に抹殺しようとする『オーガナイズド(秩序化)』された狂気は、どんなサイコパスよりもタチが悪い。……昭和4年の秋、日本社会はフィクションの『猟奇』に酔いしれながら、システムそのものが孕む『真の猟奇』から目を背けていたのかもしれないわね」
芙美音:
「お化けや殺人鬼より、やっぱり最後は生きてる人間が集まった『組織』が一番怖いってことやな。……うちらも、権力には絶対すり寄らんとこ」
【免責事項】
本記事は、1929年(昭和4年)当時の社会風俗(猟奇ブーム)および、同年10月に発生した実際の事件(岡山村中国人行商人殺人事件・冤罪事件)に関する史実を基に構成しております。一部に筆者の主観的なプロファイリングや解釈が含まれます。記事内の「姉妹探偵の事件考察」は、自作小説のキャラクターによるフィクションの演出です。事実関係の正確性を完全に保証するものではありません。



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