第一章:導入と舞台
闇があるのではない。
光が、届かないのである。
村という閉鎖機構は、往々にして光を拒絶する。
否、拒絶しているのではない。光そのものが、村という迷宮の入り口で屈折し、歪み、本来の色彩を失って地に堕ちるのだ。
山深い場所であればあるほど、その傾向は顕著となる。
地理的な孤立は、精神の孤立を招く。
外界との往来が絶たれた空間では、時間すらもが澱む。
流れることを忘れた水が腐臭を放つように、澱んだ時間は、人の心にどす黒い苔を生やし、因習という名の枷を幾重にもはめ込んでいく。
時は、昭和十三年。
大日本帝国が、満州事変を経て日中戦争の泥沼へと足を踏み入れ、国家総動員法が施行された年である。
世界中がきな臭い硝煙の匂いに包まれ、都市部では軍靴の音がアスファルトを叩き、人々が国家という巨大な機構の歯車として狂騒的な熱を帯びていた時代。
だが、その熱すらも、深い山を越えることはできなかった。
岡山県の奥深く。
中国山地の山間部に位置する、苫田郡西加茂村大字行重の貝尾集落。
三方を険しい山々に囲まれたその小さな村は、帝国の狂騒とは無縁の、まるで江戸の世から時間が止まってしまったかのような、不気味なほどの静けさを保っていた。
外界の喧騒が届かない代わりに、そこには、村特有の、濃密で、ねっとりとした、逃げ場のない空気が充満していた。
村というものは、結界である。
外なるものを拒み、内なるものを縛る。
血と泥と因習で編み上げられた、見えない呪縛の網である。
そこには、都市が持つような匿名性はない。
誰が、何処で、何をしたか。
誰と誰が繋がり、誰が誰を憎んでいるか。
親の代、祖父母の代から続く恩讐が、地層のように重なり合っている。
全てが白日の下に曝され、あるいは闇夜の帳の下で密やかに共有されている。
秘密は存在しない。
否、秘密そのものが、村という共同体を維持するための血液として循環しているのである。
この貝尾という集落にも、特有の「血の巡り」があった。
夜の掟である。
「夜這い」という、前近代的なる暗闇の交歓。
日が沈み、真の闇が村を包み込むと、男たちは音もなく家を抜け出し、目当ての女の寝所へと這い進む。
獣のように絡み合い、慰め合い、秘密を共有する。
それは単なる性欲の処理ではない。村という狭小な閉鎖空間において、人間関係の摩擦を減らし、血の繋がりを網の目のように張り巡らせて共同体を強固にするための、忌まわしくも必要不可欠な機構であった。
夜の闇の中では、倫理も道徳も形を変える。
彼らは、昼間は農作業に汗を流す善良な村民としての顔を持ちながら、夜になれば、因習の獣へと姿を変えた。
その二面性こそが、村の澱みをさらに深めていく一因であった。
横溝正史が著した凄惨なる物語『八つ墓村』を、誰もが一度は耳にしたことがあろう。
落ち武者の祟り。血塗られた伝説。連鎖する猟奇殺人。
だが、あれは作り話だ。
おどろおどろしい伝承も、祟りも、因果応報の劇的なる幕引きも、全ては天才作家の筆が紡ぎ出した幻影に過ぎない。
しかし。
幻影の底には、泥濘のように重く、生臭い現実が横たわっているのだ。
昭和十三年五月二十一日。
この貝尾集落で起きた惨劇は、いかなる怪奇小説よりも怪奇であり、いかなる地獄絵図よりも地獄であった。
一夜にして、三十人が死んだのだ。
しかも、たった一人の青年の手によって。
それは妖怪の仕業ではない。怨霊の祟りでもない。
ただ一人の、人間が引き起こした現実の殺戮である。
現実であるが故に、いかなる虚構よりも恐ろしい。
凶行に及んだ青年の名を、都井睦雄という。
犯行当時、二十一歳。
彼は決して、生まれついての狂人ではなかった。
むしろ、成績優秀であり、村の中では知恵者として頼られることもあったという。
だが、彼は病魔に魅入られた。
肺結核。
当時は「亡国病」とまで恐れられ、死に至る不治の病として忌み嫌われていた病である。
彼が喀血した時、村の空気は一変した。
否、一変したのではない。
元より存在していた村の「排他性」という名の魔物が、その正体を現したに過ぎない。
睦雄もまた、かつては村の闇の機構の一部であった。
夜な夜な女たちの元へ通い、受け入れられていた。
だが、病が判明した途端、闇の扉は彼に対して固く閉ざされた。
結核という感染症に対する恐怖だけではない。
折しも時代は、屈強な兵士を求めていた。
睦雄は徴兵検査において、結核を理由に「丙種合格(事実上の不合格)」の烙印を押される。
それは、お国のために死ぬことすら許されない、無価値な男という宣告であった。
国家からも見放され、村からも見放される。
生きながらにして、彼は死者となったのだ。
村八分。
透明な存在。
言葉を交わすこともなく、ただ遠巻きに、汚物を、あるいは疫病神を見るような視線だけが彼に突き刺さる。
かつて肌を重ねた女たちすら、掌を返し、彼を嘲笑し、別の健康な男の腕の中で嬌声を上げる。
「あの男は、もうすぐ死ぬ」
「あの男には、近づいてはならない」
無言の同調圧力が、村中を覆い尽くす。
村という閉鎖系において、共同体からの排斥は、物理的な死よりも残酷な精神の死を意味する。
逃げ場はない。
三方を囲む山々は、彼を村に閉じ込める巨大な牢獄の壁となった。
それは、どれほどの孤独であったか。
想像を絶する、などという陳腐な言葉では到底片付けられない。
彼は、透明な壁の中に閉じ込められたまま、己の肉体が内側から腐り落ちていくのを待つしかなかったのだ。
誰も助けない。
誰も慈しまない。
肺を蝕む病魔の苦痛よりも、村人たちの冷たい視線が、彼の人格を、尊厳を、ズタズタに引き裂いていく。
澱む。
感情が、思考が、生への執着が、どす黒く澱んでいく。
澱んだ水は腐る。
腐った水からは、猛毒の瘴気が発生する。
彼は、考えたはずだ。
なぜ、自分だけがこんな目に遭わなければならないのか。
悪いのは、病に冒された自分なのか。
それとも、手のひらを返して自分を人間以下の存在として扱う、この村の連中なのか。
狂気である。
世間は彼を、凶悪な狂人として断罪するだろう。
だが、それは本当に、彼一人だけの狂気であったのか。
彼から見れば、狂っていたのは村の側ではなかったか。
偽善と、因習と、差別と、淫靡な欲望に塗れた、この村そのものが、巨大な一つの魔物であったのではないか。
睦雄の心の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
否。
崩れ落ちたのではない。
反転したのだ。
生のベクトルが、死のベクトルへと。
絶望が、純粋なる殺意へと。
彼はもう、村の掟には従わない。
自らが掟となり、この腐りきった共同体に、血の制裁を下すことを決意したのだ。
静かであった。
事件が起きる数ヶ月前から、睦雄は不気味なほど大人しくなったという。
それは、嵐の前の静けさである。
あるいは、獲物を狙う蛇が、身を潜めて息を殺している状態である。
彼は暗闇の中で、猟銃を改造し、日本刀を研ぎ澄まし、殺戮のシミュレーションを繰り返していた。
誰を殺すか。
誰を生かすか。
己を蔑んだ者たちへの怨念のリストが、彼の脳内で冷徹に組み上げられていく。
もはやそこに、躊躇いや良心の呵責はない。
境界は、とうの昔に越えていた。
彼岸と此岸を隔てる薄皮一枚は、すでに破れ去っていたのだ。
そして、運命の夜が訪れる。
昭和十三年五月二十一日、未明。
月明かりすら届かない、漆黒の闇の中。
猛烈な殺意という名の憑物に取り憑かれた一人の青年が、頭に二本の懐中電灯を角のように縛り付け、改造した九連発のブローニング製猟銃と日本刀を手に、静かに立ち上がった。
村は、深い眠りの中にある。
己らが間もなく、地獄の釜の底へと突き落とされることなど露知らず、愚かなる安眠を貪っている。
血塗られた夜の帳が、今、静かに引き下ろされようとしていたのである。



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